市民のためのチェンバロ講座 第1回(上)

2010.12.4

市民のためのチェンバロ講座第1回
(上)チェンバロというミステリー

文:足立優司(いわきアリオス音楽プロデューサー)

※この記事は2010年に執筆されたものです

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いわきアリオスには、
(1)現在ドイツ・ハンブルクの博物館に、その蓋だけが残っている楽器を調査・復元したもの
(2)1741年作のクリスチャン・ツェル氏が製作した楽器のコピー

の2台のチェンバロがあります。

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(1)の楽器は、1754年に発行されたハンブルクの新聞に楽器売買の広告が出ていたチェンバロであるとされ、その記事によればこの楽器は高名なチェンバロ製作家フライシャー氏の手がけた楽器ということになっています。

しかし、フライシャー氏は1722年にはすでに亡くなっており、彼の未亡人がその後楽器製作家のクリスチャン・ツェル氏と再婚し、ツェル氏が工房を引き継いだという記録があることから、この楽器も実際には彼の作であろうと言われています。

そしてこのフタ、大きさや角度から、楽器本体が2m90cmほどあったことがわかっているので、そこから推測して「16フィート弦」を張った楽器である可能性が高い、とも言われています。

チェンバロはピアノの興隆の前に次第に忘れられた存在となっていましたが、19世紀末頃からバロック音楽の演奏のために、当時の楽器を復興しようとする運動が始まりました。その流れの中で、ワンダ・ランドフスカ女史がプレイエル社に造らせたのが、太い金属弦を金属製のフレームに張った「モダンチェンバロ」でした。

第2次大戦前にはランドフスカのバッハ演奏が絶賛され世界中で人気を博したことが、当時のレコード雑誌などから窺えるほか、戦後もカラヤンがベルリン・フィルでブランデンブルグ協奏曲第5番を弾き振りした折りにモダンチェンバロを演奏している映像なども残っていたりするのですが、やがて、モダンチェンバロは明らかにバロック時代の楽器とは異なるという批判が強まり、それが古楽復興運動へとつながっていきました。そしてモダンチェンバロは“忌むべき存在”となり、封印されてしまったのです。

結果、時代的にも機能的にも、明らかにモダンチェンバロを意図して作曲されたと思われるF.プーランクの「田園のコンセール」までもが、現在はヒストリカルチェンバロで演奏されて、音量が足りない時には電気的な増幅までもが施されています。

このように歴史的チェンバロの復興過程で、モダンチェンバロを忌むべき存在と位置付けたために、そのモダンチェンバロに装備されていた「16フィート弦」は、オリジナルではありえない! と言われてきました。現存する16フィート付き楽器も、近代の「後付け」である、と。

特に権威ある演奏家の方たちがこうした姿勢をとったため、わが国では16フィート弦付きの楽器そのものがほとんどありません。実際、いわきアリオスの楽器を含めて、2台しかない(もう1台は個人所有)のが現状です。

しかし21世紀に入り、ヨーロッパでオリジナルの「16フィート弦付きチェンバロ」の存在の可能性を求める若い製作家が増えてきました。

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その背景には、バッハの死後、彼が仕えたケーテン宮廷の楽器リストに16フィート付きの楽器が1台あったという記録、およびバッハやその息子たちが頻繁に出入りしたライプツィヒのツィンマーマン・カフェにあった楽器リストにも、やはり16フィート弦付きチェンバロがあったという記録があります。

これらの楽器が両方とも「本来は8フィートしか備えられていない楽器に、近代以降に後付けで16フィートを加えたもの」と断定するのは、楽器ケースのサイズや形状の測定結果から、やはり無理があるように思えます。

というのもバッハの死後からそれほど遠くない時代に、チェンバロはすでにフォルテピアノに取って代わられたのであり、またフォルテピアノに対抗すべくチェンバロが16フィート弦を備えた、と考えたとしても、(1)の楽器のオリジナルがバッハの死後4年しか経っていない1754年には売買されていたという記録から、その動きはすでにバッハ生前から顕著なものとなっていたであろうと考えたほうが自然だと思われますし、バッハがこの16フィート弦付きチェンバロと比較して、ジルバーマン・ピアノを評価し、有名な「チェンバロのほうが…」という言葉を残したことも推測に難くないと思われるからです。

この楽器は、ハンブルクに拠点を構える製作家マティアス・クラマー氏が、現在16フィート弦付きチェンバロのスタンダードと解釈されている、アルブレヒト・ハス氏のモデルを元に、ツェル氏の楽器の特徴を加味して本体部分を製作した楽器です。楽器の本体が現存していない以上、いくつもの資料を元に可能性を探りながら、実際の演奏に足る楽器に仕上げてあります。

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仕様は、
2段鍵盤、16×8×8×4f、FF〜f3、415/440

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(4種類のストップに対応して4組のジャックが備えられています)


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蓋の内部には、ハンブルクの博物館に残る蓋と同じ絵が描かれています。


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(2)の楽器はツェル氏制作の現存している楽器を元に、扱いやすい楽器に仕上げたもので、1段鍵盤のジャーマンタイプ。

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ですがその仕様は、
8×8f GG〜e3、415/440/465

と、いわばちょっと音域狭めのイタリアンチェンバロとも言えるものです。確かに、ジャーマンチェンバロはどちらかといえばイタリアンモデルが発展したと考えられる(フレミッシュ→フレンチの系統とは異なる)ので、このセッティングは小型の1段鍵盤のチェンバロには理にかなっているといえるのかもしれません。

これらいわきアリオスに所蔵されているチェンバロ、ハープやポジティフ・オルガンとともに温度・湿度をコンピュータで管理された楽器専用の部屋に入れられ、企画制作課の音楽部門によって定期的な調律や状態記録が行われ、いつでもすぐに使用可能な状況に保たれています。


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