河童の森から〜ある家族の肖像

2010.12.10

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いわきアリオスが、オープン初年度の2008年から3年間実施してきた「渡辺亮パーカッション・連続ワークショップ」を振り返るリレー・コラム。第2弾は、息子さんと一緒に市内6ヵ所で行われたワークショップのすべてに参加した山口光孝(やまぐち・みつこう)さんです。

文:山口光孝 撮影:鈴木穣蔵(※印)

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なぜでしょうねぇ。
ここまで彼らがこのワークショップにはまってしまった理由ですよ。

次男は3年間、長男は1年間、このワークショップにお世話になりました。家族としても3年間びったり関わらせていただいたわけです。3年っていったら、バブバブな赤ん坊が幼稚園に行き始めたり、ランドセル背負っていたのが制服に身を包んだり、付き合っていたカップルが結婚したり、彼らの母である私の体重が6Kg増えたりっていう、考えてみたら人生の中でもかなりの割合ですよ。その長い時間を飽きることなく導いてくれた、今考えても比類ない素晴らしいワークショップだったんです、これは。

さて、「なぜ」の理由を亮さんのお人柄に求めるのは、他のメンバーがもっと素敵な言葉で表してくれるでしょうから、私が敢えて語るのは控えます。勝手ながらひたすら家族の3年間を見ることで考えてみたいと思います。

■次男の情熱

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 (渡辺亮さんと山口丈葉くん)

次男・丈葉(ともは)がはまってしまった理由、これは明確です。

ウィリアムズ症候群という染色体由来の病気を持つゆえ、2歳を過ぎても歩くことも発語もままならなかった丈葉。やつは言葉より先に、オムツを背負ったお尻をフリフリすることでリズムをとり、コミュニケーションを図っていたような赤ん坊でした。そんな赤ん坊が小学6年生になり、学校からもらってきた一枚の緑のチラシに惹かれたのは、もう、運命だったといっても過言ではないでしょう。

心臓に持病があり、発達にも遅れや偏りがある彼を参加させるのは、やはり勇気が必要でした。みんなと一緒に指示に従えるのか、体力は持つのか、何より指導者やスタッフに迷惑がかかることを恐れていたのです。でも、電話で問い合わせたときのスタッフの対応、そして「大丈夫ですよ、やってみましょう」という言葉。どれだけ安堵し、救われたかはきっと当事者だったスタッフの方にも想像できないと思います。そしてここから私たちの3年間は始まったのです。

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(2008年 中央台での「緑の夏休み」)

第1回目の中央台編を経て2回目の小名浜編にも参加したいと丈葉が言い出す頃、彼の興味と愛のベクトルは、「スルド」という一番大きなパーカッションに向かっていました。しかし「スルド」を演奏できるのは大人編の人だけ。そのため、ここでもスタッフに相談をさせていただき、2回目からは大人編での参加ということを認めてもらいました。

わがままを言った分、丈葉は一生懸命「スルド」に取り組みました。マレットを持つ右手にマメを作り、髪の毛の先から汗が滴り落ち、たまには張り切りすぎて倒れこんでしまうこともありました。それでも彼は「スルド」を愛し続け、ついには指導者のリズムを真似して両手打ちをするという、傍からみれば暴挙になりそうなことまでやるようになったのです。そしてそれができたときの嬉しそうな、満足そうな、誇らしそうな顔。うん、つまり丈葉が3年間、不参加という選択肢を考えもしなかったのは、人とのふれあいを除けば、ひたすら「スルド」への愛ゆえ、だったようです。

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■長男の変化

でも、高校3年生の長男・万葉(かずは)までこんなにはまるとは思いもしませんでした。1年目も2年目も、誘いはしたのにつれない返事。3年目も半ばお義理で「いっしょにやらない?」といったら、あっさり「ああ、いいよ」。いったいやつに何がおこったんだ? と、両親は嬉しいやら戸惑うやら。

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ただ、万葉も参加した3年目の大集合ライブのあと、こんな会話があったんです。
「お母さん、亮さんってすごいよね」。と、2階から降りてきた万葉。
「いや、そりゃわかってるけど、なんで?」と私。
「今さ、風が結構強くて、ちょっと窓を開けて風の音聞いてたら、亮さんと同じ音だったんだよ」

高3男子が風の音をわざわざ窓開けて聞くとは、などと見当違いのところでわが子に感動したのは別の話として、私はそのとき、ああ、万葉も丈葉と一緒に3年間参加してたんだな、と察しました。自分自身が演奏をしなくても、丈葉の練習や発表会を見ることで、このワークショップが作り出す音を受け止めていたんだ、そしてワークショップ最後となった年に、ちょっと立ち位置を変えて舞台に上がったに過ぎないんだ、と。

障害を持つ弟がいるため、何かと我慢を強いられ、自分を表現することから一歩ひいていた長男の、これは両親から見て劇的な変化でありました。
ああ、そうか、万葉、君もちょっと変わりたかったんだ。お母さん今書いてて得心したよ。ごめんね、鈍くて。

■唯一の“欠席”

いつも大きな顔と態度で参加させていただいているので、丈葉の参加が皆勤賞だと思われているようですが、実は2年目の大集合ライブにだけは出席していないのです。心臓病が悪化し、その年の8月、郡山で手術を受けていたためです。7時間半もかかった手術だったわりには、その後の入院期間は短く、自宅にてしばらく療養することになりました。

自宅で少しずつ生活に慣らし、彼がやっと学校に通い始めた頃、大集合ライブがありました。もちろん、参加することはかないません。しかしせめて観客として亮さんに会いたい、という彼の強い希望で、私たちはライブへ出かけたのです。

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(2009年9月の大集合ライブ)                 

一緒にワークショップを楽しんだ仲間がはちきれんばかりの音を奏でている間、丈葉は身じろぎもせずそれを見つめていました。やつの事だから体中を使ってリズムを刻むのではないかと想像していた私は、あまりの彼の真剣さにハッと思い直したのです。そうだ、楽しめるわけがないんだ。今、丈葉の心の中は、なぜ自分があの場で演奏していないのだろう、なぜ亮さんの指揮を正面からではなく、背中から見ているんだろうという疑問と違和感でいっぱいなんだ、と。

それに気付いてしまった私は、もう涙を止めることが出来ませんでした。来年は出られるよ、とか、今年は残念だったね、とか、言ってはいけないと思いました。そっと丈葉の頭を抱き、一緒に亮さんと亮さんのリズムを体で受け止めていました。

舞台上で体を張って音楽を作り出している亮さんが、ふと足を止め、小さく手を振ってくれました。どう見ても視線は丈葉に向いています。私は「とも、とも、亮さんがこっちに手を振ってくれたよ! わかった?」とささやきました。すると丈葉は小さくうなずき、「亮さん、ぼくも亮さんと一緒に舞台に上がりたかったよ」とつぶやいたのです。私の涙が五月雨から豪雨に変わったのはいうまでもありません。本当に、今思い出しても胸がきゅうっとなる切ない瞬間でした。

まあでもその後の打ち上げにちゃっかり参加して、亮さんにハグしてもらった頃にはすっかり機嫌も直っておちゃらけ野郎に戻ったんですけどね。まったく、切り替えが早いったら……。

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そんなこんなのこの3年間の経験で、長男は森の住人となり、次男は河童となって柔らかなリズムを紡ぐ幸せを見出しました。ならば私たち両親は、彼らがいつでも安心して水を飲みにこられる川となり、彼らをずっと見守っていきたいと思うのです。

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(山口光孝さん)                       ※

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