【アリオス・アーカイブ】どしゃ降りの雨のなか皆がひとつになった「第1回 おでかけアリオス 」

2017.10.26

NUUコンサート

〔公演名〕はじめまして!NUUコンサート
〔日時〕2007(平成19)年10月26日(金)19時開演
〔会場〕龍門寺(いわき市平下荒川)
〔出演〕NUU(シンガーソングライター) 笹子重治(アコースティックギター)  渡辺 亮(パーカッション)

文:長野隆人(広報グループ チーフ)

少し気の早い話ですが、いわき芸術文化交流館アリオスは2018(平成30)年4月に、第一次オープンから満10周年を迎えます。
いつも利用してくださっている皆さん、本当にありがとうございます。
10年ひと昔といいますが、いわき市においては何十年分と言っていいほど色々なことが起きました。
アリオスのなかでも、外には見えないドラマがたくさんありました。
そこで、これから10周年に向けた不定期連載企画として、これまであまり知られていなかったアリオスのあゆみを少し振り返っていきたいと思います。


1回目は、2008年10月26日(金)に行った第1回「おでかけアリオス はじめまして!NUUコンサート」。
皆さんのおかげで、いまやアリオスの代名詞的な事業となった「おでかけアリオス」。
今年(2017年)9月までに通算500回、のべ3万人の皆さんに「おでかけアリオス」のプログラムに触れていただきました。
「おでアリ」という略称で話してくださる方に出会うと、市民の皆さんにも浸透したのだと感じます。
この事業の記念すべき第1回を開催したのが、ちょうど10年前の10月26日(金)でした。前日には、いわき駅前再開発ビル「ラトブ」がオープンしています。

アリオス第一次オープン
(まだ中劇場棟が完成していなかった2007年のアリオス)

いわきアリオスのオープン前の準備が本格的に始まったのは2007年の4月。
いわき市役所の7階に「いわき芸術文化交流館 開設準備室」が設置されました。
そこにいわき市の正規職員と、全国各地からアリオスをオープンさせるために呼ばれた専門スタッフが集結しました。
4月と5月に企画制作課とマーケティング(広報)、施設管理課のスタッフの一部が着任。
9月末、完成したいわきアリオス内の事務所に引越し。
そして10月に舞台・照明・音響スタッフを始めとしたスタッフらが着任し「このチームでオープニングを迎える」というメンバーのほとんどが揃いました。

アリオス初期スタッフ
(先の選挙でちょっと流行った言葉だと「チャーターメンバー」ということになります)

いわきアリオスは、当時も今も、東北最大規模の大きな劇場、文化施設です。
劇場を一つオープンさせるには、凄まじい力が必要です。
すべてのことをゼロから決めなければならないわけですから。
・友の会制度をつくるか
・施設の貸し出し方法をどうするか
・チケットの価格設定をどうするか
・広報紙やちらしのデザインとトーンをどうするか
・どんなWEBサイトにするのか
・備品のあれこれについて

細々としたことまで、連日、激論を交わしながら(ときに掴み合い寸前までいきながら)、次第に「いわきアリオス」のスタイルをつくっていきました。
常勤と非常勤のスタッフが混ざっていたので、頻繁なメールのやりとりでの激しい議論、いわゆる“空中戦”もよくやりました。
舞台・音響・照明スタッフも、招聘で集まった業界トップクラスのベテラン組に、地元採用の新卒に近い若手が加わった混合チームでした。そこで完成した大ホールを中心に、何度も機構のテストを繰り返し、全員で徹底した「声掛け」をして安全意識を高めながら、アリオス内のルール作りを行っていました。

劇場やイベントの現場経験は豊富な人材が揃いましたが、ほとんどのスタッフが苦手意識を持っていたことがあります。それは、市の直営施設ならではの様々なルールや文書手続き。ここは、総務・経理を担当する市の正規職員の皆さんの献身的なサポートに何度も救われました。加えて、関東からの単身赴任組や、地方から来た一人暮らしが多いスタッフの健康やメンタル面まで細やかに気遣ってくれました。その心遣いによって、寄せ集めのスタッフが、いわきアリオスという建物のなかで一つの“家族”のような気持ちになっていけたと思います。

いずれにしても、2007年の秋までは、慣れない会議やデスク仕事ばかりをこなしていて肩が凝り、いいかげん「現場」の感覚がなまってしまうという声が聞こえる頃にやってきたのが、シンガーソングライター、NUU(ぬぅ)さんの「おでかけアリオス」でした。

アリペ表紙
(2009年2月アリオスペーパーvol.6の表紙を飾ったNUUさん 撮影:平間 至)

今思うと、「おでかけアリオス」の記念すべき第1回がNUUさんだったというのは、とても大きかったと思います。NUUさんは本当に気さくで愛嬌のある方で、本番1ヵ月前の9月にも一度いわきを訪問し、会場の下見がてら市内のあちこちを歩いて地元の皆さんと交流し、担当スタッフの前田優子さん宅で行ったお好み焼きパーティにも参加してくれました。

NUUさん田人? NUUさん田人

いわきを満喫し、一つ一つを大事に思ってくれる、その一連のプロセスに触れたスタッフたちは、「この人と一緒に、初めての『おでかけアリオス』、絶対成功させるぞ」という気になっていました。

本番を迎えるまでの1ヵ月は、お客さまがどれだけ集まるか、スタッフが皆、不安に思っていました。まだ得体のしれぬ「いわきアリオス」の催事、しかもホールでなく、お寺での開催ということで、興味を持ってくださるのか……。いわき市民がどのタイミングで公演に「行こう」と思うのか、その傾向もまだつかめきれていない頃。広報担当としては、新聞、ラジオ、テレビ、あらゆる媒体に電話やファクスでPRしまくりました。

NUUさんはもちろん、会場を提供してくださった龍門寺の住職も全面的に協力してくださっていたので、その気持ちに報いるためにも、お客さまをいっぱいにして当日を迎えたいという思いがスタッフにはありました。しかし本番直前まで、どれくらいのお客さんが来るかは雲をつかむようにわかりませんでした。

龍門寺1 龍門寺2

そして、そんななかで迎えた10月26日(金)は、朝から大雨でした。
聞くところによるとNUUさんは雨女とのことでした(笑)。

龍門寺の本堂では午後から設営が始まりました。
キャンディーズの解散コンサート(後楽園球場/1978(昭和53)年)で舞台監督を務めていた小宮山忠彦さんが、現場を仕切っていました。
1989(昭和63)年、まだ誰も東京ドームでコンサートをやったことがない時代、闘病生活から復活した美空ひばりが「不死鳥」コンサートを行ったときに音響チーフを務め、NHKの「プロジェクトX」にも取り上げられた岡田辰夫さんがスピーカーを設営し、サウンドチェックしていました。
帝国劇場やアートスフィアで照明を担当してきた望月圭介さんが、本堂内にふさわしい幻想的な明かりを仕込んでいました。

NUUコンサート

「こんなところに、なんでこんな人が?」という人たちが、龍門寺の狭い本堂のなかで、嬉々として作業をし、プロ意識を発揮していました。その脇で地元採用の20歳そこそこのスタッフたちが、彼らの仕事をサポートするべく動いていました。

一向にやまないどしゃ降りのなか、自動車で来場するお客さまのために、総務経理グループと舞台サポートグループのスタッフはレインコートを着て、山の上にある駐車スペースに立ち、長時間、車の誘導をしていました。

NUUコンサート@龍門寺

今は施設の貸し出しと管理業務があるため館外に出ることができない施設サービスグループのスタッフも、まだ開館前でしたから龍門寺にやってきて、受付や、客席整理をしていました。

企画制作課のスタッフも音楽担当、演劇担当の区別なくそれぞれの持ち場を担当し、広報もプレス対応や写真撮影、ラジオの収録と忙しく動き回りました。

施設がフル稼働している今では考えられないことですが、文字どおり、いわきアリオスのスタッフが「全員で」現場に取り掛かった最初のイベントがNUUさんの「おでかけアリオス」で、それぞれが持ち場で全力を出しきることで互いを認め合い、我々は初めて「チーム・アリオス」の一員であるという一体感を得ることができたように思います。

龍門寺住職NUUコンサート@龍門寺


そして悪天候にもかかわらず130人あまりのお客さまが龍門寺に詰めかけてくださり、NUUさんの歌とトークを満喫して帰られました。この日堂内を埋め尽くしてくださった方々が、いわきアリオスにとって、実質初めての「聴衆」となったお客さまです。着任してから半年以上、ステージパフォーマンスを介したコミュニケーションがなく、お客さまの顔が見えない状態でオープン準備を進めてきた私たち。

NUUコンサート@田人

しかしこのコンサートを経験したことで、我々がこれから大事にしていくお客さまの顔がはっきりと見え、その反応や、笑顔が、その後の準備を進めるうえでの糧となりました。オープニングに向け、もっと喜んでもらうためには何をするべきかという目標が定まり、さらにモチベーションを上げて頑張っていこうと思いました。龍門寺の翌日は田人ふれあい館、その翌日は内郷の総合保健福祉センターでの親子向けコンサートを行い、スタッフが勢ぞろいした打ち上げで飲んだお酒と、会話の楽しかったこと。

NUUさんと住職
(終演後、住職と記念撮影したNUUさん)

客観的に考えると、ホールのオープン半年前から先行して「おでかけアリオス」が本格稼働したのは少し不思議なことかもしれません。こうしたアウトリーチ活動がまだ市民権を得ていなかった10年前ならばなおのことです。もちろん「新しい芸術文化施設がオープンしますよ」という広報宣伝を兼ねてということもありました。でも、私たちとしては「おでかけ」は最初から、ホール内での公演と同じレベルで重要な取り組みでした。

いわき市に来たスタッフが誰もが驚いたのが、市の面積の広さ。これだけ広ければ、ふだんなかなかホールまで足を運べない方も多いはず。それなら「おでかけアリオス」のようなアウトリーチ事業を通して、まちの隅々に本物のアートをお届けして喜んでもらおうというのが、アリオスの設計段階から盛り込まれていたミッションでした。ホールでやるのもアリオスなら、おでかけしてやるのもアリオス。もちろん「おでかけアリオス」の場合はホールの機能は持ち歩けませんが、ホール機能と同じ、いやそれ以上に大事な、「いわきアリオス」の根本姿勢、エッセンスを漏らさず届けようという意気込みで「おでアリ」に臨んでいました。それは今も変わりありません。

そして、ホールがオープンする前から「おでかけアリオス」を実施していた経験があったからこそ、東日本大震災でホール施設が改修を余儀なくされた時にも、「自分たちはハコがないところから始まった。ハコが動いていなくても、『おでかけアリオス』があれば、芸術を必要としている方々に本質的なものをお届けできる」という発想にすんなりつながったのだと思います。

振り返るほどに、いろんな「原点」が詰まっていたと思えるプロジェクト。
それがこの「第1回おでかけアリオス」でした。

この記事を読んだ人は以下の記事も読んでいます。

    共通フッター

    PAGE TOP

    本サイトの著作権(copyright)