アリオスペーパーvol.58 特集「文楽に夢中!」連動企画
陸奥賢さんと「桂川連理柵」の舞台を歩く。

2017.11.25


アリオスペーパーvol.58 特集「文楽に夢中!」連動企画!
2018年3月14日(水)に開催する「人形浄瑠璃 文楽」・昼の部で上演される「桂川連理柵」の舞台を、観光家の陸奥賢さんが実際に歩いてリポート。アリオスペーパーの「陸奥賢さんと『曽根崎心中』の舞台を歩く。」と、ぜひあわせてお読みください。


文:陸奥賢
むつ・さとし 観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者。


1978年大阪生まれ。ライター、放送作家、リサーチャーなどを経験。現在は「大阪七墓巡り復活プロジェクト」「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」「当事者研究スゴロク」「歌垣風呂」「劇札」等を主宰。應典院寺町倶楽部専門委員。著書に『まわしよみ新聞のすゝめ』。2017年11月「読売教育賞」最優秀賞受賞(「まわしよみ新聞」)。


(1)プロローグ 
 江戸中期の宝暦11年(1761年)4月12日、桂川に帯屋長右衛門と信濃屋お半の死体が上がりました。長右衛門は妻も子もいる45歳の中年男性。お半は帯屋の隣に住んでいる信濃屋の娘で、当時13歳。親子ほど年の差(32歳差)がある2人ですが、この2人がじつは恋仲で心中事件であると騒がれました。実際に事件のわずか1か月後(5月18日)に『曾根崎模様』という浄瑠璃作品が描かれました。これは『曾根崎心中』に、お半と長右兵衛の心中がからんでくるというものでしたが、さらに改変されて、事件の15年後の安永5年(1776)10月に初演されたのが、菅 専助作の『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』です。


撮影:青木信二
 ここでいきなり興が醒めるようなことをいいますが、じつはこの2人は恋仲ではなかったというのが現在の定説です。長右衛門は、お半を親戚に預けにいくために、もしくは大阪の奉公先に出向くのに同行していただけで、しかし運悪く桂川で強盗被害に遭い、心中のようにみせかけて殺されたというのが事件の真相だといわれています。犯人も不明で、未解決のミステリー事件でしたが、それがゆえに色んな噂話となったのでしょう。ちなみに恋仲という設定にするには、さすがに歳の差がありすぎると思ったのか、『桂川連理柵』では長右衛門は38歳、お半は14歳という設定に変更されています。それでも24歳差で、結構な年の差カップルですが……。

(2)「帯屋」跡
 さて、浄瑠璃によると、物語の舞台である帯屋は「柳馬場押小路虎石町(やなぎのばんばおしこうじとらいしちょう)の西詰」にあったと記されています。現在の住所でいえば「京都市中京区柳馬場通押小路下ル虎石町」で、ここには、かつて明治2年(1869)創業という老舗の京かまぼこ屋「茨木屋」がありました。茨木屋は、事件の舞台となる帯屋とはなんの関係性もないそうですが、同じ場所に店舗があるのも縁だろうというので、大正2年(1913)には2人の墓がある誓願寺(京都市 中京区新京極桜之町)で150回忌法要を営んでいます。このときは京都・南座の顔見世で『桂川連理柵』が上演されていたので、長右衛門役の初代中村鴈治郎が参詣し、数千人が集まったといいます。ただ残念なことに茨木屋は、2012年に移転してしまい、現在はコンビニエンスストアになっています。

(3)桂川へ
 浄瑠璃の原作では、この帯屋から出発して、長右衛門とお半は心中場所である桂川に向かいます。しかし、いざ桂川につくと長右衛門は「四十近い身をもつて、十四やそこらの小娘と、一緒に死んだら義理知らずと、世間の人の笑ひの種。(中略)とかくそなたはながらへて、亡きわが跡を弔ふてたも。頼む」と、自分一人だけで死んで菩提を弔ってほしいと懇願します。しかし、お半は「この腹帯はどうせうえ。殿御を先へながらへて身二つになり、大胆ないたづら者ぢや悪性な、不心中なと人さんの笑はんしても大事ないか。(中略)定まり事とあきらめて、一緒に死んで下さんせ」と拒否しました。14歳の小娘が40近い男性に「(心中するのは)定まり事」と諭すのも驚きですが、さらにお半は、愛する長右衛門の子を懐妊していて、身重でありながら、桂川に身を投げる……というのが、物語の悲劇性を高めています。こうして2人(子供を含めると3人ですが)は桂川に身を投げて心中してしまいますが、現在、桂川の東岸・上野橋付近の道路沿いには「お半長右衛門供養塔」があります。ここに2人の遺体が流れ着いたという伝承があり、文化13年(1816)に地元の有志の方が供養塔を建立したといいます。また前述した誓願寺にも、お半と長右衛門の供養墓があります。「義光浄意信士」(長右衛門)「俊妙照英信女」(お半)と戒名が刻まれた墓が2人の墓ですが、残念ながら現在、墓地は非公開となっています。


リンク:お半長右衛門供養塔〜帯屋〜誓願寺の地図
(3)「桂川連理柵」からうまれた落語!?
この誓願寺は、じつは落語の祖・安楽庵策伝(あんらくあん・さくでん/1554~1642)ゆかりの寺院としても有名です。策伝は説教の名手で、ちょっとした笑話なども上手く、それらを『醒酔笑』という本に纏めましたが、これが上方落語のネタ元になりました。また『胴乱の幸助』という上方落語がありますが、これがじつは『桂川連理柵』をモチーフにした作品です。ご近所でケンカや揉め事があると、それを仲裁するのが趣味という妙な男がいて、その男が、たまたま浄瑠璃の『桂川連理柵』を聞きました。そこでの帯屋の揉め事を聞いて、それを実際の話だと勘違いし、わざわざ大阪から京都に向かうという話です。舞台となった虎石町までいくと、運悪く「帯屋」という名前の店があり、男はその店に入って、ありもしない揉め事を仲裁しようとするのですが、まったく店主と話が噛み合わずに頓珍漢なやりとりになります。最後のオチも秀逸で、人気の上方落語ですが、こうしたパロディができるぐらい、『桂川連理柵』は上方で人気の演目で、有名だったということの証明でしょう。

浄瑠璃『桂川連理柵』を観たあとは、ぜひ一度、上方落語『胴乱の幸助』もご覧ください。

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