【さきどりアリオス】 小山実稚恵ピアノ・リサイタル 曲目解説(プログラム・ノート)先行掲載

2018.4.11

小山実稚恵ピアノ・リサイタル

いわきアリオス開館10周年記念
小山実稚恵ピアノ・リサイタル〜10年の時を刻んで
プログラム・ノート全文掲載

4月14日(土)に迫ってまいりました、「いわきアリオス開館10周年記念 小山実稚恵ピアノ・リサイタル〜10年の時を刻んで」。いわきアリオス大ホールの2台のピアノを選定してくださった小山さんが演奏するショパン、シューベルト、ベートーヴェンの名曲を1音たりとも逃さず聴いていただきたい。そう願って、公演当日にお配りするパンフレットに掲載したプログラム・ノートを事前に一挙掲載します。執筆は、いわきアリオス音楽学芸員の足立優司。入魂の解説、じっくりお読みください。

♪プログラム♪
ショパン
  ワルツ 第2番 変イ長調 作品 34-1「華麗なる円舞曲」
  ピアノ協奏曲第2番 作品21より 第2楽章「ラルゲット」
  アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 作品22
  子守唄 変ニ長調 作品57
  舟歌 嬰ヘ長調 作品60
シューベルト
  即興曲 変イ長調 D935 作品142-2
  即興曲 ハ短調 D899 作品90-1
ベートーヴェン
  ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 作品111

文:足立優司(企画制作課 音楽学芸員)

2018(平成30)年4月8日、いわきアリオスは開館10周年を迎えることができました。瞬く間に過ぎ、全力で駆け抜けてきたように感じる一方、先が見えず重く苦しい時間を皆さまとともに過ごしなすべきことは何なのか、音楽には何ができるのか、自問し続けた歳月でもありました。その時々に応じた正解を対話の中に見つけ、ハッとさせられたことも何度もありました。
そして今、「音楽は人の心を幸せで満たすことができる」ことを確信し、少しでも価値の高い、素晴らしい音楽をこの街で頑張っているすべての人たちに届けることを使命として、私たちは新たな歴史のスタートを切ります。

いわきアリオスが、この街の音楽を愛する人たちが集う「世界とつながる窓」となることは、果たすべき第一の役割です。開館前、それを目指す私たちはどうしても、小山実稚恵さんにコンサートホールの“命”であるスタインウェイを選定していただきたいと願っていました。小山さんこそは、チャイコフスキー国際とショパン国際という、世界二大コンクールの両方に上位入賞を果たした唯一の日本人ピアニストであり、当時すでに渋谷のオーチャードホール、その2,150席という大ホールを舞台に12年間・24回の連続リサイタルを開始していた、比類なき“超一流”の音楽家だったからです。アリオスの大ホールに相応しいスタインウェイを選定できる演奏家、かつ日本人として、ここに集うお客様の姿やこの街の人たちの想いに共感しながらピアノを選定できる演奏家は、小山さんを置いてほかには考えられませんでした。

2007年12月、大ホールのためのスタインウェイ2台を選定してくださったところから始まり、2008年2月のピアノ試奏会では、新しいピアノの響きを確認するのにショパンを3曲、リストを3曲。そのときは、それぞれを相似形に並べた奥深いプログラムに驚嘆させられました。そして晴れて「ピアノ開き」を迎えたのは、その年の4月13日。アリオスのために小山さんが、“これしかない”との想いを込めて選定してくださったスタインウェイの響きを、皆さまにお披露目することができました。

幸せなことに、小山さんにとってもアリオスは思い入れのある場所となることができたようです。その後も大切な節目・節目に来演が実現。そして今回、2013年のオープン5周年記念 N響特別演奏会以来、「ピアノ開き」より10年と1日ぶりとなるピアノ・リサイタルを迎えることになります。

前半は、「ピアノの詩人」ショパンの美しく華麗な傑作が集められました。ショパンは39年の短い生涯の早くから、その才能を開花させた早熟の天才です。作品のほとんどすべてをピアノ曲が占め、繊細で優雅な旋律を次々と生み出しました。作品はすべてペリオーテ(楽節構造)に従い、無駄のない自然な構成を持っています。ほとんどが10分以内の作品ですが、その内容の深さは比類なく、少ない言葉で奥の深い心情を“語る”ロマン派の詩人たちに匹敵する芸術家であったのです。

1曲目に演奏される〈ワルツ 第2番 作品34-1〉は1831年、あるいは35年に書かれたとされる作品です。同じく31年に書かれた〈第3番〉、38年に書かれた〈第4番〉とともに“華麗なる円舞曲”としてまとめられ、同年出版されました。
このころ彼はポーランド独立を目指した革命の混乱を避け、ウィーンに活躍の場を求めようとしていましたが、巷ではヨハン・シュトラウス(父、1804~49)のワルツが一世を風靡し、一方でショパンの繊細なニュアンスを重視したピアノ奏法や斬新な作品は、当時ウィーンで好まれた華麗なヴィルトゥオーゾとは相容れないものだったのです。ショパンが味わった屈辱的な思いは、友人への手紙に「独創性のかけらもなく退屈極まりない陳腐なワルツ」という言葉とともに聴衆の趣味レベルの低さを嘆く内容として記されています。また当時の手記にも次のように書かれています――家に帰ると、ピアノに向かって荒れ狂うんだ。憂鬱なハーモニーが心の中に広がり、かつてないほど 深い孤独を感じる――。反骨精神、あるいは好奇心が、 彼に“踊れない”ワルツを書かせていきます。とはいえ、この作品はまだしもファンファーレで始まる華麗な曲想と、旋律美や和声の豊かさ、充実した展開によって、華やかな祝賀ムードを醸し出す“ワルツらしい”作品に仕上がっています。

2曲目は、その少し前に完成された〈ピアノ協奏曲 へ短調〉(第2番 作品21)より、第2楽章《ラルゲット》。この楽章は全曲の最初に手掛けられ、彼の心を捉えたソプラノ歌手、コンスタンツィア・グワトコフスカへの想いが込められている、と親友宛の手紙で述べられています――僕は悲しいかな、自分の理想の人を見つけたようだ。この半年間、僕は心の中で彼女に忠実につかえてきたが、まだ一言も口をきいていない。僕は、彼女のことを夢に見、彼女のことを想いながら、僕のコンチェルトのアダージョを書いた……(1829年10月3日)――。しかし彼は片思いのまま、ポーランドからの出国によって二度と彼女と会うことはなかったのです。
作品は同年12月に非公式の演奏会で初演、翌3月正式に披露され、同年10月の「告別演奏会」でも〈協奏曲 ホ短調〉(第1番 作品11)とともに演奏されました。後のパリ時代、ショパンはこの楽章を好んで度々単独で演奏したことが、リスト(1811~86)によって伝えられています。劇場ではなく、もっぱらサロンでの演奏を好んだ彼の自筆譜は、オーケストラ協演版のみならず、弦楽四重奏との共演版、2台ピアノ版、独奏版と、数種類が遺されました。曲はノクターン風の旋律が様々な装飾を伴い、やわらかな情緒を湛えながら奏でられていきます。のちにパリで出版され、その際にテンポ設定が現在の《ラルゲット》へと修正されました。

3曲目は、ポーランドの民族舞踊としてショパンが早くから親しみ、自らのアイデンティティの基礎ともなった「ポロネーズ」の名を持つ、〈アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ〉。1831年にピアノと管弦楽によるポロネーズ部が書かれ、34年にアンダンテ部がピアノ独奏として書き加えられました。そして36年、ピアノ独奏版と管弦楽伴奏版が同時に出版されています。ポロネーズ部は絢爛たる技巧と華麗な曲想によって、彼がごく初期から手掛けてきた「ポロネーズ」の集大成と位置付けられ、ウィーンで活躍することを意図したヴィルトゥオーゾ的要素もふんだんに採り入れられた作品です。
一方パリでの名声も確立された時期に書かれたアンダンテ部は、ショパンの代名詞ともいえる「ノクターン」の趣を示しており、スピアナート(滑らかに、朗々と歌うように)の名のとおり、左手のアルペジオの上を甘美で流麗な旋律が流れるように歌われていきます。この曲の初演以降、彼は演奏活動から身を引き、作曲に専念するようになります。

時は流れ、ショパンが33歳を迎えた1843年。健康状態が悪化し、恋人として彼を支えてきた女流作家ジョルジュ・サンドとの関係に不協和音が鳴り始めた上、父を亡くして精神的に厳しい状況が続いていた時期。そのような中で書かれた作品の一つが、4曲目の〈子守歌〉です。元々は「変奏曲」として書き始められ、一旦完成を見た後、44年に改訂を施す際に改題されています。
左手が同じリズムと一定の和声パターンを反復するバッソ・オスティナート風の伴奏の上に、4小節単位のメロディが16回変奏されていくという変奏曲形式を採りながら、多様な装飾が加えられ、対旋律が付け加えられて、微細でデリケートな表情の変化が様々に引き出されていきます。ショパンにしか作り得なかった、“大人のための子守歌”。終わり近くに一瞬だけ和音のパターンが変化し、緊張感と情緒の変化がもたらされているところは、彼の独創性・先進性を示すものです。

そして、前半の最後は死の3年前、1846年に出版された〈舟歌〉。
サンドとの破局は避けがたく、病も深刻さを増し、絶望と孤独に苛まれる中で書かれたショパン最晩年の大作です。分散和音の伴奏と旋律の組み合わせが「ノクターン」をイメージさせる、ゆったりと美しく抒情的な旋律がこの作品の最大の魅力です。舟が水面をゆったりと滑らかに滑るかのような冒頭主題は、二声によるハーモニーで構成され、それが転調を伴って盛り上がった後、あたかも困惑・切迫するような第二の主題が表れて中間部を形成します。その後冒頭の主題を再現し、クライマックスでは第二主題が輝きを増して歌い上げられます。やがて舟は徐々に遠ざかり、水の流れが停滞しつつもキラキラと光を反射するかのような装飾的パッセージに包まれると、最後はオクターヴの跳躍によって決然と閉じられるのです。
これ以降、彼は経済的な理由から演奏旅行を繰り返すことになり、作曲の時間を十分にとることもできなくなります。しかし、〈舟歌〉を奏でるショパンその人の指先から紡ぎだされる、繊細な綾織りの陰に秘められた痛み、悲しみ、孤独、そしてそれらを静かに包み込む諦観は、当時の人びとにも、彼の存在を忘れ得ぬものとしたことでしょう。最後に置かれた4つの音は、〈舟歌〉冒頭の左手による「5度」の音の運びと対になる「4度」音程を取っており、あたかも“ここから新たに”、新しい運命の扉を開こうとしているかのように感じられる、と小山さんは筆者に語ってくださっています。

 自分の耳が許す音だけが、音楽である。 ――F.ショパン

後半はまず、シューベルトの〈即興曲〉から。ショパンよりもさらに短い31歳の生涯に1,000曲以上の作品を遺したシューベルトは、1797年にウィーン郊外で生まれ、生涯この街を離れることがなかった生粋のウィーンっ子です。
この時代、ヨーロッパでは「ディレッタント」という、官僚や資本家など社会的に高い地位の職業を持ちながら、高い芸術性をもとめて自ら芸術活動を行う人びとが数多く現れました。 音楽は「芸術」としての崇高な域に達するようになり、「芸術」を金儲けの手段とすることは蔑視の対象となったのです。「真の芸術」を見分ける力を持つこと、そして自らの努力でそれに近付こうとすることは、彼らが信奉したプロテスタンティズムの精神に適うことでした。ディレッタントたちの“崇拝”の対象となる「真の芸術家」として、シューベルトは後半生をそうした友人たちに囲まれ(シューベルティアーデ)、その援助によってひたすら作曲と演奏を続けることができたのです。
しかし当時のウィーンは、ロッシーニ(1792~1868)のオペラに席巻されていました。ロッシーニはモーツァルトと並ぶほどの神童ぶりを発揮し、彼の新作は次々と大当たりしていたのです。大成功を収めるロッシーニを横目に、シューベルトはひたすら歌曲やピアノ曲、室内楽などをサロンで披露し続け、社会的成功には無縁な生涯を送りました。彼はベートーヴェンを心底尊敬し、古典的構成美を重んじていましたが、ベートーヴェン流の主題労作(楽曲の基本構造を成す旋律を作り、そこから材料を抽出して様々に変化させながら楽曲全体を創り上げる手法)的な作曲法が苦手であり、むしろモーツァルトのように湧き出る旋律を次々に組み合わていく方法を好んでいました。内声の和音、その微妙な変化に重きを置き、遠隔調への転調をさらりと使いこなすなど、彼の多くの作品はロマン派の音世界そのものといえます。そうした美点が最大に生かされた歌曲やピアノ曲に、数多くの傑作が遺されています。

「即興曲」とは、特別な決まりのない自由な形式の「性格的小品」というジャンルにあたります。〈作品90〉と〈作品142〉はどちらも死の前年、1827年に作曲され、4曲ずつの組になっています。〈作品90〉についてはタイトルも、また4曲をまとめて一つの作品とすることも考えていたわけではないようですが、出版社のトビアス・ハスリンガーが出版する際に「即興曲」と名付けたことに、反論はしませんでした。さらに〈作品142〉の方は、彼の死後10年も経ってからディアベリ社より出版されていますが、生前に自ら「即興曲」と書き込んだ楽譜とともに、「出版に際しては、1曲ずつでもまとめてでも構わない」という内容の手紙を出版社に送っていたといわれ、彼が4曲をまとまりとして考えていた可能性も示唆されています。
〈作品142-2〉はシューマン(1810~56)が評論の中で「ソナタの緩徐楽章」と位置付けたように、ゆったりと優美な懐かしさに満ち、感情の揺れや高まり、郷愁が込められた歌が紡がれていきます。複合三部形式を採り、中間部は軽やかな三連符のアルペジオが印象的。
〈作品90-1〉は優美さの中に暗さを湛えたモノローグ的主題、その郷愁と切なさを誘うようなメロディが様々に変奏されていきます。あたかも人生の残り時間を悟っていたかのような哀しみと、静かな諦観が込められているようです。一瞬の慰めのごとく長調への転調を挟みながら、最後は消え入るように閉じられます。

 いったい本当に陽気な音楽というものがあるだろうか? そんなもの、僕はひとつも知らない。   ――F.シューベルト
 
本日の締めくくりは、ベートーヴェン最後のピアノ・ソナタである〈第32番〉。1821年から22年の初めにかけて作曲され、これ以降、彼は〈ディアベリ変奏曲〉や小品の〈バガテル〉などを除き、創作の中心を弦楽四重奏曲に置くようになります。つまりは“自らの分身”であったピアノ、その中心的ジャンルであったソナタの総決算ともいうべきもので、ベートーヴェンその人のあらゆるエッセンスが凝縮された、彼の代名詞的作品といえるでしょう。同時期に書かれた〈第30番 作品109〉、〈第31番 作品110〉が穏やかで優美な曲想を中心とした3楽章形式であるのに対して、激情がほとばしる第1楽章と、深遠な精神世界を表現する第2楽章によって、人の精神の二面を描き出しているのが特徴です。ベートーヴェンが後期に入る直前から好んで使っているフーガの技法と変奏曲形式が用いられ、凝縮した中に深い精神性を追究して「精神の浄化」に至らんとする、彼の強い意志を感じさせる作品になっています。
第1楽章はベートーヴェンが自らの宿命とする「ハ短調」のもと、減七の下降音程で始まるドラマティックな序奏を持つソナタ形式。次第に感情が高まり、劇的な主部へと突入していきます。対位法を取り入れた、一瞬も気を抜くことができないような激しい第一主題に続き、暫し穏やかな表情を見せる第二主題が顔を見せますが、すぐにまた激しさを取り戻して提示部を結び、フーガの技法を駆使した闘争的・劇的な展開へと続いていきます。対する第2楽章は一転、アリエッタと記された、ハ長調の清らかで深い情緒を湛えた主題と、その主題の精神を厳格に捉えた5つの性格的変奏からなっています。

ベートーヴェン自身がこの世の葛藤を昇華(Aufheben)し、一歩ずつ魂が浄化されていく姿を追体験している様に感じられ、深遠で澄みきった音楽世界がどこまでも広がって、そこに天上からの光が差し込む崇高な音楽世界を私たちに垣間見させてくれるのです。

 私は芸術に携わり、それを演奏して見せるに勝る喜びを知らない。    ―― L.ベートーヴェン

 この世に生を受けたすべてのものが感じる共通の感覚。心の感覚、魂の感覚。それがベートーヴェンが書き綴った音玉一粒一粒に込められているのです。  ―― 小山実稚恵



■公演情報■
いわきアリオス10周年記念公演
小山実稚恵 ピアノ・リサイタル ~10年の時を刻んで

〔日 時〕2018年4月14日(土)14:00開演
〔場 所〕いわき芸術文化交流館アリオス 大ホール
〔料 金〕一般 3,000円、学生 1,000円(未就学児入場不可)
〔発売日〕2018年1月27日(土)10:00~(1回券・セット券とも)
公演&イベントガイド「小山実稚恵 ピアノ・リサイタル ~10年の時を刻んで」

日本ピアノ界の第一人者で、2017年11月には紫綬褒章も受章した小山実稚恵さんは、当館大ホールに保有する2台のピアノの選定者。2008年4月の開館記念公演にも出演しています。仙台生まれ、盛岡育ちの小山さんは東北への想いが深く、震災後、いわき市民への無料公演や「おでかけアリオス」小学校公演のために来市し、音楽で我々の背中を押してくださいました。今回は10年の時を経て成熟した大ホールのピアノの響きを、皆さまにお届けします。

〔ご予約・お問合せ〕
 アリオスチケットセンター 電話 0246-22-5800(10:00〜20:00 毎週火曜定休)
  ※2018年2月13日(火)、3月13日(火)は全館休館日

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